大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(う)60号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金四万五〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金三〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審(差戻前の原審を含む)における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人馬場一廣・同杉政静夫連名提出の控訴趣意書及び「求釈明に対する釈明及び控訴趣意補充書」に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(理由不備の主張)について

所論は、要するに、(一)原判決が、罪とするべき事実を認定するに至る経緯を説明せず、また、弁護人の主張に対する判断を示していないのは、実質的にみて納得のいく理由を付さない違法があり、ひいては憲法三二条、三一条に違反し、(二)原判示事実には、被告人の行為として「徐行して車道上に進出した」ことだけが記載されており、業務上過失傷害における過失行為が記載されていず、罪となるべき事実の判示としては無意味であるから、原判決には理由不備の違法があり、(三)原判示事実中、「本件交差道路の車両の進行状況は、それらの点灯された前照灯(ビームではない)の動きにより被害車両を含めて確認し得た」との部分は、原判決の掲げる証拠によっては認め得ないから、原判決には理由不備の違法がある、というのである。

しかしながら、所論(一)については、原判決の理由は、後記理由のくいちがいの点を除いては、刑訴法三三五条で必要とされる理由として欠けるところはなく、従って、また、憲法三一条・三二条に違反するものではないから、所論は失当というべきである。次に、所論(二)については、訴因における注意義務の存在・その内容及び過失の態様は、被告人が、右方道路から進行してくる被害車両(深堀車)を、その前照灯の照射により認めたことを明示したうえ、「右方道路の見とおしのきく地点に停止し、同車(深堀車)の動静を注視し、同車との安全を確認して前記交差点に進入すべき注意義務があるのに、徐行したのみで同車の動静を注視せず、同車との安全を確認しないで時速二ないし三キロメートルで同車の進路前方に進入した過失」というのであるところ、原判示被告人の過失は、交差道路の車両の進行状況は、点灯された前照灯の動きにより被害車両を含めて確認し得たのであるから、これら車両との交通の安全を確認して進行する注意義務があるのに、これを怠り、徐行して車道上に進出した、というのであるから、原判示事実に過失行為が記載されていることは明らかであり、従って所論は失当というほかない。さらに、所論(三)については、被告人の確認した深堀車の前照灯が光芒ではなくその光源の趣旨である点は、《証拠省略》によって明らかにされているから、この点に理由不備はない。なお、原判示事実中、「被害車両を含めて確認し得た」とする部分に関しては、被害車両以外の車両をも現実に確認した趣旨とすれば、この点についての証拠が存在しないことは所論のとおりであるが、他の車両の存否については本件の訴因となっていないうえ、本件当時の具体的状況に照らし意味ある付加的事実とも認められないので、注意義務等被告人の過失責任の存否判断には影響がないから、この点の証拠がないことをもって刑訴法三七八条四号にいう理由不備とまでいうことはできない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二(理由くいちがいの主張)について

所論は、要するに、原判示事実には本件交差点の道路諸元及び関係位置等を明らかにするため原判決添付の1ないし9の図面が引用されており、その2ないし9の図面にはすべて被告人車と深堀車との関係位置が記入されていて、原判決は右各添付図面によって右両車の位置関係及び距離を示そうとしたものと考えられるところ、被告人が深堀車を発見して停止するまでの距離は、3・4・5・7・9図では〇・四五メートルであるのに対し、2図では一・七メートルであり、また、被告人が深堀車を発見した際の同車との距離は、7図では三四・二五メートルであるのに対し、2・3・5・9図では約四一ないし四三メートルであって、被告人が深堀車を発見した位置とその際の同車との距離、その後被告人が停止するまでの距離という本件過失の成否及びその内容に関する重要な点について、右のようなくいちがいのある各図面をそのまま原判示事実中に引用したうえで、「被告人において自車先端を車道上まで進出させない位置で被害車両を含めて確認し得た」旨判示し被告人の過失を認定した原判決には、その理由にくいちがいがある、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査して検討すると、被告人が深堀車を発見した位置及びその際の同車との距離、その後被告人が自車を停止させるまでの距離、両車の位置関係等は、本件における注意義務・過失の存否及びその内容等に重要な影響を及ぼすものであるところ、これらの点について、原判決が添付した各図面相互の間には所論のとおり重要なくいちがいのあることが明らかであり、従って、右各図面をそのまま一括して原判示事実に援用した原判決はその理由にくいちがいがあるものというべきであり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

控訴趣意第三(審判の請求を受けない事実について判決した旨の主張、訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、訴因記載の過失態様と原判示過失態様には、後記(イ)、(ロ)の点に重要な差異があり、従って、原判決は、(一)審判の請求を受けない事実について判決したか、(二)或いは、訴因変更の手続を経ないで訴因と異なる過失を認定したという判決に影響を及ぼすことの明らかな違法かがある、すなわち、(イ)訴因では、注意義務の対象車両を深堀車に限定し、かつ、同車の前照灯の照射(光芒)を認めたことを注意義務の前提事実としているのに、原判決では、注意義務の対象を深堀車を含む他の車両にまで拡張し、かつ、これらの車両の前照灯(光源)の動きによりこれら車両を確認し得た旨認定しており、また、(ロ)訴因では、「徐行したのみで同車(深堀車)の動静を注視せず、同車との安全を確認しないで時速二ないし三キロメートルで同車の進路前方に進入した過失」としているのに、原判決では、前記のとおり、徐行して車道上に進出したことのみを過失行為とし、訴因に対応する過失行為を認定していない、というのである。

しかしながら、所論(一)については、本件訴因と原判示事実を対比検討すると、両者は同一公訴事実の範囲内にあり、原判決が審判の請求を受けない事実について判決したものとは到底認められず、所論(二)については、(イ)の点に関しては、所論指摘のとおり訴因と原判示事実との間に差異はあるが、深堀車以外の車両の点は、もともと前説示のように、注意義務等に影響のあるものではなく、また、前照灯の点は、いずれも訴因変更を要するほどの差異とは認め難いものであり、(ロ)の点に関しては、前示のとおり、原判決の認定は訴因に対応していないものではないうえ、本件の審理経緯に照らすと、所論指摘の点は、いずれも、被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼすものとは認められないから、訴因変更の手続をとらなかった原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼす違法はなく、所論はいずれも失当といわざるをえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第四(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、本件当時(一)本件交差道路右側(甲州街道新宿方面)から来た車両は被告人車だけであったのに、他の車両も進行していたかのように認定した原判決には事実誤認があり、(二)本件交差道路右方から進行して来た深堀車を被告人において最も早く発見し得たのは、原判決添付3ないし9図の③地点であり、同点は甲州街道車道南側縁石を結ぶ線の〇・四五メートル手前であって、被告人車の運転席から同車先端までの距離は約二・二メートルであるから、③地点で被告人車の先端はすでに一・七五メートル甲州街道車道上に出ていたものであるのに、被告人において自車先端を車道上に進出させない位置で被害車両を確認し得た旨認定した原判決には事実誤認があり、(三)本件時刻は薄暮時であり、現場付近は商店街の照明及び街路灯によって明るかったから、前照灯により車両の進行状況を確認することはあり得なかったのに、被告人において被害車両等の進行状況をその点灯された前照灯の動きにより確認し得た旨認定した原判決には事実誤認があり、以上の誤認はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも合わせて検討すると、所論(一)については、なるほど本件当時本件交差点付近甲州街道下り線に深堀車以外の進行車両があったと認むべき証拠はないから、原判決が深堀車以外の車両があった旨認定したものとすれば事実誤認があるというべきであるが、右の点は既に説示したところからも明らかなように、原判示過失の存否とは何ら関係がなく、判決に影響を及ぼすものとは認められないので、結局、所論は採用できない。次に所論(二)及び(三)については、《証拠省略》によると、被告人が自車先端を甲州街道の車道上に進出させないで深堀車(原判決添付2図のB点)を、その前照灯(光源)そのものの動きにより発見できたのは、原判決添付3ないし9図の③点ではなく、原判決添付2図の○地点付近であることが認められるから、原判決には所論のような事実誤認はなく、所論は失当というべきである。論旨は理由がない。

以上のとおりであって、控訴趣意第一、第三、第四の論旨は理由がないが、同第二の論旨は理由があるから、原判決は破棄を免れない。よって、刑訴法三九七条一項、三七八条四号後段により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、さらに以下のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四八年一二月一〇日午後四時五〇分ころ、普通乗用自動車を運転して東京都調布市国領駅方面から同市国領一丁目四七番地先の交通整理の行われていない交差点に通ずる幅員約五・五メートルの道路を北進し、同交差点で、右道路と丁字型に交差する国道二〇号線(以下、「甲州街道」という。中央線を有し、車道の幅員約一三メートル、その両側に歩道があり、南側歩道の幅員は二・五メートル)の新宿方面へ向けて右折進行するにあたり、被告人車の先端が前記甲州街道の車道上にまで達しない位置で、右方の新宿方面から同交差点へ向け時速約三〇キロメートルで進行してくる深堀とよこ(現姓及川とよこ、当時二一年)運転の第一種原動機付自転車をその点灯された前照灯の動きにより右前方約四一メートルの地点に認めたのであるから、甲州街道右方の見通しがきく前記地点に停止し深堀車の動静に注意し、同車との交通の安全を確認してから同交差点に進入し、もって同車との衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同車の動静を注視せず、同車との安全を確認しないまま時速二ないし三キロメートルで進行し、自車前部を約二メートル余り甲州街道車道内に進出させて停止した過失により、自車右前部を、深堀運転車両のフロントフォーク左側等に衝突させて同車を転倒させ、よって、同女に加療約一か月間を要する左大腿・下腿打撲、膝関節部位挫創の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(本位的訴因を認めなかった理由)

本件の本位的訴因は、起訴状記載の公訴事実(但し、検察官作成の昭和五〇年一二月一六日付訴因変更請求書記載のとおり変更)のとおりであり、そのうち後記予備的訴因に関係のある部分は、「被告人は、……幅員約五・五メートルの道路より中央線のある車道幅員約一三メートルの道路と交差する交差点に進入し右折しようとしたのであり、かつ右方道路から進行してくる深堀とよこ運転車両の前照灯の照射を認めたのであるから、右方道路の見通しのきく地点に停止し、同車の動静を注視し、同車との安全を確認して前記交差点に進入すべき注意義務があるのに、徐行したのみで同車の動静を注視せず、同車との安全を確認しないで時速二ないし三キロメートルで同車の進路前方に進入した過失、」というのである。しかし、本位的訴因中では被告人が深堀車を発見した際の相互の距離関係が明確にされていず、従って、右訴因のような注意義務を認めえないだけでなく、前掲各証拠によっても、被告人が深堀車の前照灯の照射を認めたものとは認められず、同車の前照灯自体を認めたことが明らかであり、以上の点から本位的訴因をそのまま認定することはできないが、検察官は、当審において、「被告人は昭和四八年一二月一〇日午後四時五〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、東京都調布市国領一丁目四七番地先の交通整理が行われていない交差点を東方の新宿方面に向けて右折するため南方の国領駅方面から幅員五・五メートルの道路を進行し優先道路である車道幅員一三メートルの国道二〇号線に入る際、自車先端を車道上まで進出させない位置で新宿方向から同交差点に向け時速約三〇キロメートルで進行してくる深堀とよこ(当時二一年)運転の原動機付自転車を同車の点燈された前照灯の動きにより右方約四一メートルの地点に認めたのであるから、直ちに停車し右深堀車の動静に注意し同車との交通の安全を確認してから同交差点に進入し同車との衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、時速二ないし三キロメートルで右交差点に進入した過失により、自車右前部を右深堀運転車両のフロントフォーク左側等に衝突させて同車を転倒させ、よって、同女に加療約一か月間を要する左大腿・下腿打撲・ひざ関節部挫創の傷害を負わせたものである。」と予備的に訴因を変更したので、当審における自判に際し、前示のとおり予備的訴因に従って事実を認定した。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金四万五〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金三〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審(一次、二次)における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高山政一 裁判官 簑原茂廣 千葉裕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例